ロンドン発! 本場イギリスでバイクレースに挑戦

ロンドン発! 本場英国でバイクレースに挑戦

身の程知らずのバイク好きによる、40代からの英国バイクレース参戦記です。

Vol.23 MSSとレース参戦? 

 

新たなバイクロマンを探して

9月にブランズハッチで壊れたバイクは、翌年、2017年の 3月に修理を終えて戻ってきた。バイクを手放すことを考えていたので、今回は売却し易いライムグリーンカラーを施した。ツーリングバイクに買い替えて大陸ツーリングしようか、モロッコオフロードツアーを目指そうか、など考えたが、結局、相棒は手放せなかった。2年間でずいぶん傷んでしまったけど、最高のファクトリーショップ MSS から戻ってくるバイクは信頼に足る。

 

 

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イギリスには本当に多くのサーキットが有る。Rockingham、Bedford Autodrome、Croft、Mallory Prak など、ロンドンから通える範囲だけでも知らないトラックがたくさんある。たまにそうしたサーキットを攻略に行くのも楽しいかな。そして、 UK ライダー達には、天気が悪くて完全にオフシーズンとなる冬の間の楽しみがある。太陽があふれるスペインやイタリアのサーキットの Track day に、旅行を兼ねて家族と一緒に行くのだ。

 

と言ってもレースと違って、それらを仕事の予定に優先して先に組むようなことはなかなかしない。2017 シーズンは結局、秋頃に 2度、Track-day に出かけるだけになった。1回目は シルバーストーン、2回目はドニントンパーク。シルバーストーンはフルコースを走ってみようと思ったからなのだが、案の定というか、期待していたほどエキサイティングなものでは無かった。何とかしてコースを攻略する必要も、限界を探って速く走る必要も無いのだから、当然と言えば当然。

 

3人の重鎮インストラクター

シルバーストーンでは(Vol.4 でも触れた)インストラクター長の Alan Batson 氏に会うことができた。ロンハスラムレーススクールで、ほぼ毎回私のインストラクターをしてくれていた方だ。既に 60近くながら、若き日に Yamaha ワークステストライダーだった走りは健在で、いつもスクールでは(日頃は眠ってしまいそうなスピードで先導しているとかで)私が来る日を楽しみにしてくれていた。この日も久しぶりの再会を喜んでくれた。

 

Alan に、過去 2シーズン、クラブレースに参戦したこと、クラス最速だったと思うけれどチャンピオンを取れなかったこと、モチベーションを失って今年はレースを離れていること、今日フルコースを走ってみたものの気持ちが高揚しなかったこと、などを話した。彼は「レースなんてその気になれば 60過ぎたって出来る。またモチベーションが湧いたらやればいい。俺も来年あたりマン島 TT に出ようと思ってるよ」と言う。

 

そして「今年から始まった BSB の Ducati Cup 知ってるか?知り合いに大観衆を新たなモチベーションに楽しんでいる奴がいるよ。真ん中くらい走れるんじゃないか? 」と情報をくれた。Ducati かぁ。'99 のもて耐に 916 で出場したことが有る ↓↓↓ その時のレベルの話ではあるが、鉄フレーム独特の粘りのある乗り心地が気に入り、全く転ぶ気がしなかった記憶が有る。そして実際に、本来の第一ライダーより良いタイムを出したっけ。

 

 

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Alan には今回、客人インストラクターとして来ていた Niall Mackenzie(ニール・マッケンジー)氏を紹介してもらった。Ronさんや平選手と同じ時代に World GP を走っていた英国出身のレジェンドライダー。現在は TVコメンテーターをしながら BSB Superbike 選手権トップライダーの息子をサポートしている。その選手権には Ronさんの息子の Leon も居るから、ライバル関係が世代を超えて引き継がれている様相。

 

Mackenzie 氏と握手をし、サーキット Office でコーヒーを飲みながら雑談をした。私は、学生時代、ハーベ ホンダ NSR500 の彼が全日本最終戦の筑波にスポット参戦して、ホームの平選手を破って優勝したレースを、第一ヘアピンのスタンドで見ていたこと。その時のバンク角が尋常では無くて、 NSR のステップをガリガリ擦りながらコーナーをクルっと旋回していたライディングがすごく印象に残っていることなどを話した。

 

彼もそのレースのことを覚えていて「あのコース(ツクバ)を見た時は本当にここを 500 で走るのかよと思ったよ。だけどあの時は確か、Money がすごく良かったんだよね」と指でマネーマークを作って笑った。そうだ、当時の日本はバブル時代だった。その頃の全日本選手権は世界で唯一 500cc クラスを開催している国内選手権で、ワークスに見初められて WGP に参戦することを夢見る世界中のライダー憧れの選手権だった。

 

 

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もう一つのドニントンパークの方は、いつもとは違う FEという走行プロバイダーを通して予約した。走り慣れたドニントンパークではあるが、この日は FEのスペシャルインストラクターとして Neil Hodgson(ニール・ホジソン)氏が来るとのことで、一緒に走ったら楽しいかな、と思ったからだ。彼は 2003年の World SBK チャンピオンで、現在は英国の TV でMoto GP のコメンテーターを務めている。面白いキャラで通っている。

 

数セッションして体を慣らした後にインストラクターを頼んだ。BMW 1000RR の彼は、「まず前を走ってみろ、数ラップしたら前に出るから付いてこい」と言う。私は 90%くらいのペースで走った。ただなかなか前に出てこないので後ろを振り向くと、ピットインの合図。そしてバイクを降りた彼は私に一言二言アドバイスをするとガレージに戻っていった。あれっ、終わり?まだセッションの時間は有るし、お金も払っているのに…。

 

写真を撮ってくれいた妻曰く、FEのスタッフに「どうだった?」と聞かれた彼は、「So quick, So quick」と首を振りながらガレージに消えたそう。そうか。こうしたイベント的に呼ばれた客人インストラクターは記念的に走るのが常で、バリバリに走る覚悟はしていないんだ。ただ、世界レベルのライダーとハイペースで走って、TVで見るようなキャラで指導を受けられたら新たな楽しみになるかな、と期待していた私としては大いに拍子抜けした。

 

 

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新たなモチベーション

2017 シーズンが終わりを告げるころ、ふと、NLR の HP で 2017年のシリーズ結果を見てみた。するとなんと、2016年シーズンのライバルだった Michael と Mark が上のクラスでもチェンピオン争いを繰り広げていて、わずか数ポイント差で Michael がチャンピオンを獲得していた。自分より遅いと思っている、あまり好きになれなかった Michael が上のクラスでもチャンプとは。。。

 

当然のように、私が今年も続けていれば、彼を破ってチャンピオンになるという、完全なリベンジが果たせたじゃないか、と思った。ただ同時に、彼の 2年連続チャンプは、私に欠けている彼の安定した姿勢によってもたらされているいることも感じた。彼は今シーズンもきっとムラなく戦ったのだろう。そんな彼のメンタルは、悔しいがリスペクトに値する。いずれにせよ、この発見には心が高鳴り、緊張感を感じた。

 

シルバーストーンの走行ではバイクの調子が悪かった。クラッチが滑ってパワーが伝わらなかった。年末に MSS に持ち込んだが彼らはいつも忙しい。来シーズンの初走行日はまだ決めていないと伝えたのが運の尽き。バイクが戻ってきたのは、2018年も半ば近い 5月だった。MSS は大層恐縮していたが、シリーズ参戦中はどんな短い期間でも仕上げてくれたのだから、そう言うものだと受け止めた。ちなみにバイクの不調は燃料ポンプだった。

 

バイクを引き取りに行った際、MSS 代表 Nick の ティーンネイジャーの息子が、昨シーズンから BMRC(通称 Bemsee)のクラブレースに参戦していることを聞いた。良い成績を残しているらしい。日頃はプロ選手権の BSB に携わっている Nick も帯同しているらしく 「クラブレースも思っていたよりレベルが高くて面白いね」と言い、「Hiro も来れば? 同じような境遇のアメリカンライダーもレースの時だけ来るんだよ」と誘いを受けた。

 

BSB トップチームをサポートする MSS スタッフが同じピットに居るなんて、てんてこ舞いしながら参戦していた私には夢のような環境だ。ちょうど、シリーズは追わないまでも年数戦に決めて楽しむのも良いかなと考えていた。UK に来る前、仲間と年 2回の T.O.F を楽しんでいたように ↓↓↓ #21  これから少し体を鍛えて、7月辺りからの数戦に一緒に参戦させてもらう約束をした。一気に楽しくなってきた。やはり目標が有るのはいい。

 

 

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バッドラック

しかし、、、物事はうまくいかないものだ。6月下旬、仕事の合間に次男の幼稚園の運動会に顔を出した。ちょうどお父さんレースのタイミング。準備運動もしてなかったが、今朝次男坊に「パパは足速いんだからお前も大丈夫」と言ってしまった手前、証明する羽目になった。20メートルほど先のフェンスを触って折り返すレース。余計なことに、先生が思い付きで「行きは片足ケンケンね」と言う。「On your mark! Get set! Go! 」

 

お父さん達が一斉にケンケンをする。私も上位で折り返し地点に近づく。が、ドドン!後ろから足を蹴飛ばされて転んでしまった。ただ、どうやら私は突き飛ばされたのではなくて、単独で転んだらしい。なんと左足のアキレス腱を切ってしまったのだ。そんなことって…。せっかく良い形でのレース参戦の機会が訪れ、数週間後のラウンドに向けてモチベ―ションが高まってきていたところだったのに。。

 

それからの数か月はそれは大変であった。体の内部だからか、言われているほど痛く無いのが救いだったが、有ろうことか当初は、松葉づえで歩かねばならない右足に怪我が引き金になって痛風を発症し、這って歩く生活を強いられた。仕事へは激痛に歯を食いしばりながら出かけた。全治 5,6ヶ月の大けが。そうして、1年のブランクを挟んで見つけた新しい形のバイクロマン、楽しむことを目的としたレース参戦は無くなった。。