ロンドン発! 本場イギリスでバイクレースに挑戦

ロンドン発! 本場英国でバイクレースに挑戦

身の程知らずのバイク好きによる、40代からの英国バイクレース参戦記です。

Vol.24 人間万事塞翁が馬

 

BSB Ducati TriOptions Cup

不自由な松葉づえ生活を送りながら、時々ガレージのバイクやトロフィーを眺めていると、その躍動的な活動がとても恋しく思えた。来年は MSS に付いてフルシーズン参戦しようかな。でもあれから来年へのお誘いもない。お客様トークだったのかな。まっ、お金も危険も伴うレースなんて自分の意思が大切。誘ってやらせるようなことでもない。

 

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ふと、1年前のシルバーストーンAlan に聞いた、BSB Ducati Cup(Panigale 959 ワンメイクレース)を思い出した。BSB の HP を覗いてみて驚いた。すると、なんとその Ducati Cap には、2015年シーズンのライバルだった Daniel (Show) と Dave (Gregory) が参戦しているではないか。緊張感を覚えるとともに、非現実的に聞いていた話が身近に思えた。

 

2018年9月、まだまだ松葉づえの生活が続いていたが、どうしても気になって、彼ら 2人に話を聞くためと、Superbike クラスでチャンピオン争いをしている Leon (Haslam) の表敬訪問もかねて、次男を連れて Silverstone Circuit へ BSB 観戦に行った。ただ松葉杖だし、目的も Race 観戦そのものでは無かったので、混雑を避けて土曜日に行った。

 

幸い Ducati Cap は土曜と日曜に各 1レース行われるようで Race1を見ることが出来た。Dani は中団あたりを、Dave は後ろの方を走っていた。レース終了後のバイクプールに行くと、Dave が私を見つけて駆け寄って来てくれ、その後 Dani とも会うことが出来た。2人とも、クラブレースには無い観衆を前にしてのレースを楽しんでいた。

 

思わず、私も参戦したいなぁと言うと、Dave が、今シーズンで引退するつもりだから Bike を買わないかと言う。Dave の 紺色の Ducati は渋く美しかった。レーサー Panigale を所有するなんて夢だが、慣れないイタリアンバイクを一人でメンテナンスしながらこのレベルでやるのはどう考えても不案。その点を話し、少し考えさせてと返事をした。

 

f:id:RMARacing:20200425042144j:plain帰る前に挨拶をしに再度 2人のテントを訪れた。すると Dave が別のオプションとして、来シーズンのライダーを探しているという隣のテントの JWF Motorsport を紹介してくれた。代表の Jason 氏と挨拶を交わし、後日話をすることになった。広大なサーキットを松葉杖で歩くのは大層応えたが、予想以上の収穫を得た訪問になった。

  

BSB ライダーになる

10月になる頃には左足のギブスもスペシャルブーツに代わり、ロンドンからほど近い街に住む、JWF Motorsport のチームオーナー、Jason Fuller 氏のお宅を訪問した。彼はあの後、私の情報を各方面から集めたようで、「皆、Hiro は Good で Exciting なライダーだと言っていたよ」と、いきなり契約 OK を言ってきた。驚いたが、イギリス人は Yes, No がはっきりしている。反対の返事でもまたしかりであったであろう。

 

Jason のある知り合いは「Hiroと争って最終ラップに入ったら絶対勝てない」と笑っていたらしい。また、Ducati Cup のオーガナイザーの中心人物がかつて NLR のスタッフで、「Hiro はグッドライダー。きっと Ducati Cup でもいいバトルをする」と勧められたらしい。Jason は、クラブレースの New Comer クラスにたった 2年参戦しただけの私が、色々な方面で語り草にされていることに少し驚いたような口ぶりだった。

 

ライダー契約と言ってもほんの入り口。バイクの用意とサポートをチームが行って、参戦費用は自分持ちというもの。ただ 2輪レース界のプロは一握りのトップライダーを除いて、サポートの程度の差こそあれ概ねこのような契約。参戦費用は自らスポンサーを獲得して賄い、生活のための仕事は別に持っている。つまり、形の上では一応私もプロの端くれになってしまったようなもの。マジか。後日呼ばれた調印撮影会は緊張した ↓↓↓

 

 

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この歳にして毎戦 5万人の観衆を集めるヨーロッパのプロ選手権に出場するなど、身に余る機会を得てしまった。ただ現実的に考え出すと一気に不安が押し寄せた。仮にも契約という形。もう2年もレースから離れているし、ほぼバイクにも乗っていない。怪我で体もだいぶ落ちている。このレベルで貢献できるのか。それに私には個人スポンサーなどいない。転倒も少なく無いのに高価な Ducati を相手にやれるのだろうか?

 

Jason は Hiro は日本人だからすぐスポンサー集まるでしょと言う。いやいや、日本の 2輪レース業界はかつてほどの勢いはない。イギリスのように、バイクレースが好きという理由でサポートする(SMT のような)他業種の会社もほぼ無い。スポンサー行為は広告であって、名も知らないライダーのスポンサーなど引き受けるわけが無い。私にしたってレースは自身のチャレンジ、人のお金で活動するなど考えたことも無い。

 

もしかして Jason はそれも期待しての私か? F1 ですらそんな話は聞く。やはりプロの世界なのだな…。チームへの貢献という使命を感じて気遅れした。ふと、私個人ではなくてチームスポンサーのお願いなら有り得るかもと思った。第一ライダーの Phil Atkinson はチャンピオン候補としてビジュアル効果もある。私も一応は MBA を持つ会社経営者、ビジネス的なお手伝いはできる。しかし具体的な行動はしなかった。

 

人間万事塞翁が馬                

2019年が明けた。今年は私のレーサー人生においても集大成のような 1年になる。スポンサー探しは結局していないけれど、これは私が好きでやっていること。身の丈に合った活動をすればいい。それでワンシーズンでシートが無くなるならば仕方がない。ただそうなれば、年齢的にもこのような機会が再び訪れることはないだろう。思い残すことの無いように取り組もう。

 

思えば不思議だ。私は下位選手権のクラブレースでチャンピオンになる夢に破れた。速さや勝利を追求しすぎるあまりにステディさを欠いて敗北した。自分の至らなさを納得して燃え尽きた。でもそのインパクトが関係者の記憶に残り、Exciting Rider としてBSB チーム監督の耳に入って契約となった。まさに万事塞翁が馬。一見不幸や失敗と思う結果でも、実は幸や成功であったりするもの。うまくいかなくても絶望する必要はない。

 

BSB 第1戦は 2019年4月20、21日に Silvetstone で行われる。レースからは既に 2年以上離れ、怪我もして体も同じではない。松葉杖を手放した12月から、インストラクターを付けてジムでトレーニングを続けた。2月に入る頃には体はだいぶ仕上がって来た。何とか 2月中に体を作り上げて、3月の初めに初練習走行に望む。3月後半にどこかの Club Race に出てレース勘を取り戻して、4月の本番を迎える、という計画だ。

 

チームは 2月下旬にスペインで 3日間のテストを予定している。海外でテストなんてまさにプロっぽいが、私は体が間に合わないので断念した。非常にタイトな残り時間。ただ、バイクの準備などに捕らわれることなく、自分のコンディション調整だけに打ち込めるのは良い。これこそ私が欲しかった環境。シーズン中もライディングだけを考えて向上したい。全てが用意されていた Ron さんのスクールで大きく成長できたように。

 

 

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