ロンドン発! 本場イギリスでバイクレースに挑戦

ロンドン発! 本場英国でバイクレースに挑戦

身の程知らずのバイク好きによる、40代からの英国バイクレース参戦記です。

Vol.30 オランダ紀行(牧歌的だけではない景色)

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オランダの田舎町

オランダからの帰りのフェリーは 、ロッテルダム近くの Hook 港を 22時に出港する。Super bike などの他のレースは観ず、早めにサーキットを出て観光をしながら帰ることにした。観光と言ってもそこまでの時間は無い。『大堤防』を通るために少し遠回りをするだけ。せっかくオランダを縦断したので、Vol.30 は写真多めのオランダ紀行。

 

今回の遠征は 7泊8日。オランダに 6泊、帰りのフェリーで1泊。目的が旅行ではないのでオランダでの 6泊間の滞在先はずっと同じ Hotel Karsten。人口 7万人弱のアッセンの街から北北西へ車で 20分ほど、人口数千人の Norg という小さな村にある。とても古い村らしいが、そこはインフラの行き届いたお国柄。街はきれいに整えられ、ホテルもレストランもモダン。人は少ないものの荒廃を感じる寂しい村とは違う。歴史の古いヨーロッパの原風景は、表面的な顔を整えている大都市よりも、こうした地方の村々にあるのだろう。

 

 

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レースウィークエンドまでの数日は、練習日を間違えたこともあって時間に余裕が有った。私は自営。日頃は週末も昼夜もなく仕事をし、精神的には 24時間営業。その短くても濃いレース活動はタフな日常とのバランスには有効だが、時間的には余計に忙しくなる。妻でさえ、日がなゴロゴロしている私を見たことが無いと思う。もちろん、のんびりが嫌いなわけではない。他にすることが無い(出来ない)状況で、村を散策したり、ホテルのベッドで寝転んだりできたのは至福の時だった。何度か、社員から問題発生の電話は入ったが…。

 

 

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地方の小さな街は温かみを感じた。人々が教会の前の小さなマーケットに買い物に来ていた。田舎の街の例にもれずに高齢者が多かったが、子供や学生もそれなりに見かけた。表面的な感覚ではあるけれど、人々はフレンドリー。それに、お店やレストランの店員さん達はほぼ英語を話す。広場のマーケットに出ているチーズスタンドのお兄さんやお魚スタンドのお姉さんも、日頃から使っていることが分かるレベルで話す。おかげで、チーズやこの地方の魚介類についていろいろ聞くことができた。

 

 

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途中からは、後から合流したチームオーナーの Jason と寝食を共にしたが、マーケットのシーフードスタンドには何度か通った。ちょっとした惣菜は美味なおつまみになり、ワイン片手にテラスでくつろいだ。時にホテルのオーナーも加わってくる。Jason は私と同い年だが、バイクに興味を持ったのは 10年前ほどらしい。昔のレース話はホテルのオーナーの方がよほど詳しくて話が弾んだ。イギリス人の Jason にとってもオランダの街はとても魅力的に見えたよう。奥さんに電話で、老後に移り住もうと真剣に話していた。

 

 

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締め切り大堤防

私は Race2 決勝のあと早めにサーキットを出た。自分のバイクだと事後整備やら積み込みやらでいろいろ時間が掛かるのだが、今はその必要が無く、こうした余裕に繋がっている。晴天のもと、一路『締め切り大堤防』へ向かった。オランダの生命線とも言える世紀の土木工事は 1930年代に行われた。北海を巨大な堤防で閉め切って高潮への治水をし、同時に中の水を汲みだして国土(耕地)面積を広げた。すごいことをやったもんだと学生時代からずっと興味があった。

 

 

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アッセンから西方面へ1時間半。見えてきた。途中にある展望台では壮大な景観を見ることができた。そして、アイセル湖の水面が明らかに北海のそれより低いことが見え、国土の大部分が海抜以下という事実を実感できて感動した。また、アイセル湖の水を少し舐めてみたら本当に塩辛くなかった。汽水化して農業用水やムール貝などの漁獲に役立てたという意図は分かるが、一体どうやってこんな量の水の塩を抜いたのだろう。ケミカル?浸透圧?耕地の塩害は?

 

 

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その後、大堤防の終わりの地点から程近い、エンクホイゼン(Enkhuizen)という港町に立ち寄った。きっと港町ならシーフードレストランが有って、その名産のムール貝を楽しめると思ったからだ。案の定、ハーバーを見渡せる場所におしゃれなレストランが有った。港に浮かぶ船に陽光が光り、絵になる方々がワイングラスを傾けていた。私もムール貝を注文し、少し時間が有ったので地ビールを1杯頂いた。つい数時間前まで大観衆の前で緊張感満点のレースをしていたことなど、嘘だったかのようなのどかな世界。

 

 

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エンクホイゼンの街を休憩地に選んだのにはもう一つ理由があった。立ち寄る港町を Google Mapで探していた時、このエンクホイゼンが星形要塞の街と思えたからだ。星形要塞は中世の遺構。アッセンの近く、ドイツとの国境近くには有名な星形要塞都市のブールタングという街があったが、帰る方向と逆だったので断念していたところだった。エンクホイゼンの入り口に有った案内図は、ブールタングほどの明らかさは無いものの、すぐにそれとわかるものだった。歩いて周れる小さな街。

 

 

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ヨーロッパには中世の城が多く残るが、後期の城には星形のものが多い。戦いに火砲が使われるようになり、その防御の目的のために、それまでの円筒形の要塞に代わって幾何学的に造られたそうだ。五稜郭もそうか?ググってみるとやはりそのよう。ただ、戊辰戦争時の火力は中世のそれを大きく上回っており、星形はほぼ意味をなさなかったらしい。ふと、ペンタゴンもか? と思った。が、ペンタゴンは航空機出現の後じゃ。。あ、そもそも星形じゃなくて五角形だ(笑) ちなみに下の写真がブールタング。

 

 

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もう少し時間がある。名前は知らないが、アイセル湖とマルケル湖を隔てる大堤防も渡って、アムステルダム経由でフェリーポートへ向かうことにした。ここも大規模な堤防だった。北海からの堤防を 2段階にして、その内側をさらに干拓したということなのか。アイセル湖は汽水湖で、マルケル湖は淡水湖? 何にしても、そこに居た動植物にはずいぶんと迷惑な工事だな。そのころは生態系うんぬんは無かったのだろうけれど…。つい先ほどまであんなに晴れていた空は、あっと言う間の曇り空になった。夜は大荒れになるらしい。船だと言うのに。。

 

 

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どこか寂しさを感じるオランダの景色

高速道路も独特だった。道幅というか、敷地がとにかく広くて、田舎の方などは対向車線の間に森林すらある。木が無かったらとんでもない道幅だ。んっ?もしかしてこれは、ナチス時代のアウトバーンの名残か?戦時中、物資の迅速な運搬のためと、いつでも滑走路として使えるように作ったという広い高速道路。でも、この道を戦車や装甲車が列を成して走り、爆撃機が離着陸を繰り返していたら、牧歌的な雰囲気など皆無だ。この道がそうなのかの実はわからないが、ともあれこれだけ余裕があれば制限速度が無いのも分かる。国土が狭くても全て平地だとこのような余裕になるのだな。

 

 

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ところどころ下道を使って通り抜けた都市は、整備が行き届いていてとても美しかった。ただ、人がそれほど多くないこともあって、整えられ過ぎていて寂しい感じもした。良くも悪くもアクティブなイメージのあるアムステルダムも(高速道路沿いだけかもしれないが)どこか無機質な印象を受けた。さらに、田舎道を通っているとき、本当にたくさんの、現代の巨大風車群が見えた。風車にチューリップという牧歌的な景色(↑トップ写真)はオランダの代名詞だが、この巨大風車群は決して牧歌的では無く、冷たくて、少し怖い感覚さえ覚えた。

 

 

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オランダの怖い場所と言えば、ヴェステルボルグ通過収容所がある。今から80年前にも満たないナチス占領下、国内で捉えられたユダヤ人が集められた場所。ここで敢えて楽しく過ごさせられた人々は、順番に現在のポーランドにあるアウシュビッツに送られた。ここを通過して失われた命は 102,000。その中にはアンネ・フランク(享年15才)も含まれる。跡地の博物館には、移送と虐殺の展示がされ、毎年の式典では、 6日昼夜を通して10万2千名の名前が読み上げられるという。ひと固まりの数ではなく、一人一人なのだと。

 

この恐ろしい収容所跡地は、実は TT アッセンサーキットから徒歩圏にあった。ドイツ国境に近いオランダ北東部に有るのは知っていたが、まさか今回の目的地が、そこから続くフィールドだなんて…。昔から関心は有ったし、今回は時間も有った。何度も行こうと考えたが、ショックを受けて気持ちが沈むことは分かり切っている。それは、その時整えるべきメンタルとは余りにも懸け離れたもので、断念せざるを得なかった。もちろん心残りはある。来年もアッセンラウンドに行くならば、 1泊残って訪れたいと思う。

 

 

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当時の軌道レールは、犠牲者の冥福を祈って、端が天国に向けられている。

 

イギリスへ

Hook 港に着くころにはすっかり夜になり、予報通りの激しい雨が降っていた。でも乗船さえしてしまえば快適。誘導員の指示に従ってバンを駐めたあと、船内の駐車デッキに出た。たくさんのバイクが並んでいるのが見えて、わくわくした。また友達と北海道ツーリングに行きたいな。今回はバンを運転してるけど、私もライダーだよ。バンのサイドドアを開けて ZX10R を眺めた。バイクと一緒にフェリーに乗って遠くへ行く。いいな。

 

 

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乗船後、船の模型やフロア案内マップを見ながら船内を軽く探索した。ただ、夜に出歩けば飲んでいる BSB関係者やライダーに会うだろう。速くも無いのに唯一の日本人として注目されることに良い気はない。幸い、帰りの船は夜行便とあってプライベートキャビンが用意されていた。Jason から連絡が有りそうだが、船内は Wi-Fi が有料なので携帯も OFF。ビールを買い込んで部屋でのんびり過ごした。北海道へのフェリーの時と同じく、大きなフェリーは心配したほどの揺れは無かった。

 

 

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Harwich 港到着 2時間前を知らせる館内放送で目を覚ました。TV からは、まるで緊急事態かのように Thomas Cook 破綻のニュースが繰り返し流れていた。食事をしにレストランへ行った。タマゴ、焼きトマト、ソーセージ、ベーコン、マッシュルーム、ベイクドビーンズ。見慣れたイギリスの朝食。イギリス人はこの朝食をフルブレックファストと呼んで誇る一方で、シリアルとフルーツくらいの質素な朝食をコンチネンタルブレックファストと呼ぶ。イギリスと大陸諸国の有史以来の微妙な関係が見えるようで面白い。

 

 

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長く住めば舌も変わってくるのか、慣れただけか。以前は見かける度にブーブー言っていた Full English Breakfast にもノスタルジックと食欲を感じる。子供達はさることながら、今では妻も遠出の際のホテルの朝食を楽しみにしている。食後、身支度を終えてデッキに出てみた。ちょうど接岸するところだった。雨は上がっていた。イギリスに帰ってきたんだな。子供たちに会うのが楽しみだ。たった一週間だったけれど、ずいぶん大冒険をしてきたような気がする。また一つ、一生忘れられないバイクロマンの思い出が出来た。

 

 

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