ロンドン発! 本場イギリスでバイクレースに挑戦

ロンドン発! 本場英国でバイクレースに挑戦

身の程知らずのバイク好きによる、40代からの英国バイクレース参戦記です。

Vol.2 ロン・ハスラム氏との出会い


ロンハスラムレーススクール

 

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全ての始まりはRon Haslam Race School。40才を過ぎたころ、勉強と仕事に追われてきた日々の生活の中で、驚きと共にその存在を見つけた。あの往年のGPライダー、ロケット・ロンことロンハスラム氏が開催しているスクールである。翌シーズン、思い切って参加してみた。まんまとすっかりハマってしまい、それからの数年間、年に5,6回のスクール通いの楽しみが続いた。

 

最もモチベーションを高めてくれたのはバイクに取り付けられているデータ収集装置。講習後にもらえる自身のデータシートからは、毎周のラップタイムのみならず、各コーナーでの使用ギア、アクセルOn、Offのポイント、アクセル開度、ブレーキング開始と終了のポイントなどが一目で分かる。ロンさんや、息子で現役トップレーサーのレオン のデータはBeautifulの一言。見比べると自分の改善点がよく分かって向上心が湧いた。

 

下のデータシートは、1枚目がスクールの舞台がシルバーストーンからドニントンへ移った当初の私のもの。2枚目がRonさんのデモラン。3枚目が練習を重ねた1年後の私のもの。青い折れ線はスピード(mph)、赤線は回転数、緑線はアクセル開度、ピンク線はブレーキの握りを表す。シート中央の横バーの番号はコース上のセクション番号で、シート右下のコース図と合わせて見れば、どこのことを言っているのかが分かる。

 

例えば分かりやすいのは緑の折れ線、つまりアクセル開度。初期の私はアクセルワークがだらだらでストレートでもスロットルを100%開けていない。それに比べてロンさんの線は、コーナー立ち上がりではアクセルを一気に開けるのでシャープな右上がり線になり、ストレートではスロットルを100%開け続けているのでフラット線が現れ、ブレーキングでは一気にスロットルオフするので線は急降下している。メリハリがあるのだ。

 

練習を積んだ1年後の私のスロットルワークはだいぶ改善しているが、ブレーキングポイントがロンさんより軒並み遅く、侵入速度を調整している握り直しも分かる。速く走る上ではブレーキングポイントは遅い方が良いが、注意すべきはタイムは同等ということ。つまりそのタイムを出す余裕、しいては安全マージンが違うのだ。まさに職人芸、見とれてしまう。現役トップライダーのレオンのデータが更にどれだけすごいかは言うまでもない。

 

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09/OCT/2013 Hiro

 

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20/AUG/2014 Ron

 

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16/SEP/2014 Hiro

 

 

f:id:RMARacing:20200412224432j:plainスクールに3年ほど通う頃には、歴代のスクール生の中で1,2番手のタイムを出せるようになり、Ronさん自らが直接インストラクターをしてくれることも多くなった。ヘルメットにはRHのロゴ。頭を垂直に保つライディングフォームも往年のままだ。

 

 

 

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RonさんやLeonと親しくなり、タイムもそこそこになってくると、彼らを慕ってスクールに来る世界のトップライダー達と話したり走行したりする機会に恵まれた。Ronさん、Leon、Joney (Jonathan Rea) と私の4人で非力なCB500で模擬レースをしたり、通常のスクール生を超えた交流をさせてもらった。

 

 

 

そして、次から次へ訪れる超一流の面々に「なかなかやるねー」と驚かれることが更なるモチベーションになり、彼らから「Hiroならクラブレースでも上位走れると思うよ?」と言われ出すと、「バイクもトランポもないし、歳も歳だし、仲間もいないし、海外でレースなんて無理無理」と言い続けていたものの、学生時代のレース活動が中途半端で心残りが有ったこともあって、やれるか?と真剣に考え出していた。

 

  

ロンさん宅での休日

 

余談。ある日、家族でDarbyにあるRonさんのご自宅にお邪魔させて頂いた。奥さんのAnnさん、息子のLeonとその奥さんのOliさん、そして彼らの子供達とはいつもスクールで顔を合わせていて、家族ぐるみで仲良くさせて頂いていた。

 

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お家はかつてのFarmで、到着早々Ronさんがバギーで広大な敷地を案内してくれた。工場のような巨大倉庫の中には、ズラリと並んだバイクやダイナモ施設の他、高い天井からのバンジージャンプ台や自家用飛行機まで有った。敷地内の牧草地が滑走路だそう。なんだかスケールが違う。 

 

母屋の隣にあるロンさんの秘密部屋という倉庫には、趣味だというライフルが何十丁も有った。打ってみる?えっ、どこにですか?シカが見える先の遠くの牧草地に向けてどこでもいいよ、うちの敷地だから。一発だけ、生まれて初めて銃を撃った。

 

同じ敷地内に建つLeonのお家にもお邪魔した。そこにはトレーニングジム室やビリヤード室、シネマ室まであった。Oliさんが前年の鈴鹿8耐の優勝トロフィーを自慢げに見せてくれたが、Ronさんは、俺の時のは本物の金だったぞ、と言って笑っていた。近々敷地内に2人の軌跡を展示するミニミュージアムを建てる予定だとか(数年後に実際にオープンした)。

  

f:id:RMARacing:20200414010234j:plainその後、バイクガレージを案内してくれた。トレーニング用というトライアルバイクが何台も有った。乗ったことが無いと言うと、敷地内のコースで教えてくれることになった。トライアルは想像以上に難しく、ウィーリーにトライしては何度もバック転して大笑いされた。もちろんRonさんはいとも簡単にウィーリーをしながら丸太を超えていた。サーキットでの走りと言い、恐るべし60代。

 

夜の食事では、Ronさんのこれまでの人生について聞くことができた。幼少期はすごく貧しかったこと、お兄さんをバイク事故で亡くしたこと、右手の小指一本失くしてしまった時のこと、マン島TTで優勝した時のこと、世界GPに参戦した日々のこと、息子レオンがレーサーになった経緯などなど話してくれた。World SBKチャンピオンのジョナサンレイはレオンの友人であり、ロンさんを慕うライダーの一人だが、その圧倒的な速さにもかかわらず今もMtoGPに行っていない。一度レギュラーライダー(確かDani Pedrosa?)のケガの代役でレプf:id:RMARacing:20200415235054j:plainソルホンダを走らせた時があったが、その際のアプローチの仕方を間違えたんだと悔しがっていた。転んでもいいから強烈なインパクトを残さなくては駄目だったんだと。Annさんは、今年のBSBは Shakey(Byrne選手)と kiyonari(清成龍一選手)どっちがチャンピオンになると思う(この年は共にBSBチャンプ3回の2人の一騎打ちだった)? 私はレオンのチームメイトだったKiyonariを応援している。日本人ライダーは一生懸命でいいわ、と言って笑っていた。日本人の私に気を使ってくれたのかもしれないがうれしかった。ダイニングの床では大きなゾウガメが話を聞いていた。

 

なんとも光栄で贅沢な一日だった。あのロケット・ロンと、彼の遊び心が詰まった成功の象徴のお家で、しかもファンとしてではなく、バイクを通した云わば師弟のような関係で一緒に休日を過ごすなんて。TVにかじりついていた若き日の私には想像すらできないことだった。楽しいひと時をありがとうございました。