ロンドン発! 本場イギリスでバイクレースに挑戦

ロンドン発! 本場英国でバイクレースに挑戦

身の程知らずのバイク好きによる、40代からの英国バイクレース参戦記です。

Vol.33 ライディング探求

  

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来シーズンが有るならば

夢の舞台への初チャレンジのシーズンが終わった。開幕前の大けがによる出遅れからは、それなりに頑張ったと思う。しかし結局参戦した 4ラウンドをかけて、当初考えていた自分の居るべきポジションを目指す戦いになった。最終戦でもう少しのところまで来たが、完全に達成できたとは言えない。もともと期待していた楽しみ、自分の限界を伸ばすチャレンジはその先にある。やっとここまで来たんだ。もう1シーズンはやりたいと思う。チームにはそう伝えてある。 

 

参戦が叶えば 2年目になるが、シーズン前半の 4戦は今年経験していないサーキット。欲を出し過ぎず、その 4戦のうちに、もう少しのところまで来ている自分の Max を確実にしたい。そして、経験済みのサーキットが舞台となる後半の 4戦において、中位グループで自分の限界を伸ばすチャレンジをしたい。当然のことだが、ただ漠然とチェレンジすると言っていても実現性は低い。今回のコラムは、簡単ではあるが、私なりのライディング向上に関するウンチクを少々。

 

まず、私の思う自分の Max の状態は、2015シーズン第 4戦のブランズハッチで感じた、このレベルにおける完成形の感覚で走ること(Vol.9)。目指すこと自体はシンプル。ロンさんのスクールのアクセルとブレーキのデータシートにおいて、完璧な線を描く走りをすること(Vol.2)。アクセルを開ける箇所では鋭い右上がり線、ストレート箇所では 100%フラット、ブレーキングではロスなく急降下、最短で完了してまた急上昇。それぞれのワークに不要な間(ま)や躊躇があったり、100%が 99%だったりしてはならない。

 

私は、これが完璧に出来たならば、英国クラブレースならトップを走れ、 BSB Ducati Cup レベルなら中位に入り込め、BSB メインクラスでも予選通過ができると思う。そこにはグリップの察知やコーナーの抜け方なども絡むから決して簡単なことではなく、完璧は不可能に近い。つまりサーキットを走る全てのライダーにおいて、この鍛錬がタイムを上げるための大部分になると思う。かつてキング・ケニーは、「いかに速く走るかは、いかにアクセルを閉めている時間を短くするかだ」と言ったが、核心を言い現わしている。

 

 

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その先のレベル、 Ducati Cup で言えばシングルフィニッシュのレベルへは、+アルファの向上が必要になる。これが私のしたいチャレンジ 。私の場合なら、課題のスタート、及び序盤のペースの改善。それこそ今度(ロケット)ロンさんに教えを請おう。そして Panigale に合わせた走り方の習得。ブレーキを早くリリースして高いコーナリングスピードを保ち、そのまま早いタイミングからアクセルオンに繋げるライディング。プロレベルとしてのそれだから、そのコーナリングを許すバイクセットも必要になろう。

 

厳密には更にその先に、上位グループの世界に通じる強烈なレベルがある。しかし正直なところ、私がそこへ達するのは不可能な気がする。自分の努力では覆せないものが存在していると思うからだ。例えば、今から私が、そのレベルのマシンを造る資金と一流スタッフに囲まれることは無いし、年齢もそう。いかに鍛えようとも、肉体的強さも、精神的アグレッシブさも、自分の 20代、30代のそれすら超えられない。そして感覚。持って生まれたセンスという意味ではなく、ライディングフォームに関わる感覚。

 

ライディングフォームというもの

その覆せない感覚とは何かの前に、ライディングフォームについて説明したい。ライディングフォームはマシンパワーとタイヤグリップの向上によって変わってきた。本来タイヤのグリップを察知する上では、体はマシンからの挙動がストレートに伝わるセンターに有るのが良い。ゆえに 1970年代までの長い間、ライディングフォームはリーンウィズが主流だった。というか、転ばず速く走る上ではタイヤのグリップを感じ取ることが全てであり、それ以外を考える必要も無かったのだろう。

 

だが、マシンのパワーが上がるにつれて、少しでもバンク角を抑えてグリップの限界を高めようという発想がてき出た。そして、スライド察知のために体の芯(頭)はセンターに残しながらも、バンク角を稼ぐために下半身をバイクから落とす、ハングオンが生まれた。下の写真はハングオンを完成させたと言われるケニー・ロバーツと、元祖天才フレディー・スペンサー。このフォームは、ハイサイドによる大怪我への恐怖の中で、人間の感覚を研ぎ澄ましてグリップの限界を探る時代のフォームとして、しばらく主流となる。

 

 

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そして、2ストロークピーキーなパワーとタイヤのグリップ力がアンバランスに上がる中、積極的にスライドをコントロールしようとするフォームが現れた。下の写真がその代表格のミック・ドゥーハンケビン・シュワンツリーンアウトのようなフォームで、バイクを体の下に置いて常にスライドを感じながら操る。ただバンク角が深くなる分、シュワンツは勝つか転倒かの走りになり、ドゥーハンは一時代を築いたものの、2つの要素の不安定なバランスが人間のコントロールの域を超え出したキャリア後半には、度々大きな怪我に見舞われた。

 

 

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その後バレンティーノ・ロッシが現れ、他のライダーがなかなか扱えないバイクを一段上のレベルでコントロールしてシリーズを支配した。 彼のフォームはシュワンツやドゥーハンのようなリーンアウトハングオンでもないし、ケニーやローソンのようなオーソドックスハングオンでもない。いうなれば変幻自在な自然体と言う感じ。彼のコントロール感覚は一人抜けていて、事実当時のロッシは、『じゃじゃ馬』と形容された 500を相手に転倒も少なかった。その、バイクで遊んでいるような自由なライディングと、やんちゃで明るい性格が、多くのファンを得たことは必然だった。

 

 

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時代は4ストロークに変わり、パワーとタイヤグリップの敵対関係の間にエレクトロニクスの仲介が始まった。トラクションコントロールは急激なタイヤのスライドを抑え、アンチダイブはフロントタイヤのグリップ安定性を高めた。それでも、500 からの乗り換えライダーが中心だった当初は、コントロール能力抜群で誰よりも順応したロッシの時代が続いた。ただ、そうした技術が進んで転倒リスクが抑えられる中で、鼻から機械が作り広げるグリップ域を最大限に使うことを狙う、ハングオフ的なフォームのライダーが現れ出した。下の写真はその代表格のマーク・マルケス。スライドを過敏に察することはバイクに任せ、高いスピードで旋回するために、体の芯(頭)をセンターから外してイン側の荷重を高めている。

 

 

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話を戻す。私は、ニュータイプのフォームは初めから創成されるべきもので、移行で得られるものではないと思う。フォームを作り上げる背景には培う感覚があり、トラクションコントロールが生み出すグリップ域はオールドタイプが培っていない感覚。500 と Moto GP マシンのコーナー立ち上がりを見比べると、前者のタイヤがギュギュッ!ビビッ!とクウィックにスライドするのに対し、後者はグワーンとスライドする。オールドタイプのライダーはグワーンと行く前に条件反射的にアクセルを緩める。彼らの感覚ではその先は転倒の域であり、そこに入り込む感覚を鍛える、というか作り直すのは難しい。  

 

つまりそれは皮肉なことに、人間の感覚としての限界を極めたオールドタイプのトップライダーにほど大きなハードルとして横たわってしまう。World SBK ダブルチャンプで Moto GP ヤマハワークスだったコーリン・エドワーズをご存知だろう。彼のフォームは言うなればドゥーハンタイプだが、超一流の彼がワークスを離れてプライベートチームでマシン開発を担った時、チームメイトの新鋭アレイシ・エスパガロに常に 2秒近いタイム差をつけられた。彼はエースとして数年チャレンジしたがその位置関係を変えられらず、「ニュータイプライダーにはなれない」と言って引退した。

 

また、何年か前の Moto GP レース。マルケスダニ・ペドロサが軽く接触して、運悪くペドロサのリアのトラクションコントロールケーブルが切れた。そしてペドロサは次のコーナーであっけなくハイサイドから転倒した。トラクションコントロールが作り出した領域を走っていたからだ。その年に私はロン・ハスラム氏の家を訪れた(Vol.2)。彼もこのシーンが印象的だったようで「私の時代のライダーなら転ばない」と言っていた。昔のライダーの方がグリップを察する感覚が優れていると言っているのではなく、それらのライダーはトラクションコントロールを頼り切らない(切れない)で走ると言っている。

 

よく、ロッシだけがライディングスタイルを移行していると言われるが、私はこうした理由から完全には出来ないと思う。ゆえに彼の支配の時代も終わったと思う。それで歴史上ではマルケスより遅いライダーという評価になってしまうのは心もとない。彼らが同じ時代に生まれ育ったライダーでない限り本当のところは分からない。そもそもマルケスが 500 の時代に居たらあのフォームにはなっていないし、今のフォームで走ったら毎回空高く吹っ飛ぶだろう。かつてエディー・ローソンが言っていた。「250 上がりなどで 500 をいきなり速く走らせる奴はいる。しかし何度も転倒を繰り返すうちに、知らぬ間にアクセルが緩んでいくんだよ」と。

 

このことは私のレベルにも言える。私が自分のライディングを創成した当時の理想のフォームは、そのころフラミンゴの様と言われたローソンのもの(ちなみに好きだったライダーは "120%レイニー "。どんな困難な時でも全力を尽くし、最後は下半身不随になった孤高のライダー )。つまり私のフォームはオールドタイプ。先日ジェームス・エリソンに一緒に走ってもらった時(Vol.28)、彼のアドバイスの中に「もっと頭をインに入れろ。頭一つの重さはすごい旋回荷重になるんだ」と言うものがあった。彼は世代的にはロッシと同じはず ↓↓↓。 彼自身がニュータイプを試行錯誤する中でそういう見解に至ったのだろう。参考になる。

 

 

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Ducati Cup でも、トップとの差にその点は感じる。例えばドニントンの1コーナーは、ブレーキを引きずって侵入し、早く向きを変える為にリアを外に降り出す感じになる。私はスライドを探るためにバイクを体の下に置くが、あるポイントではカウルを擦るほどバンク角が深くなる。一方、ニュータイプではバイクを左に置いて、トラクションコントロールを通して限界を探る。同じスピードならバンク角が浅い方がグリップは高い。言い換えれば、同じバンク角ならより速いスピードで走れる。以前のコラム(Vol.28)で記した通り、一つのコーナーの僅かコンマ 1秒の差は強烈なレベル差。

 

 

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私も、もし来シーズンが有って、自分の Max を確実にした暁にはニュータイプを試してみたいとは思っている。そもそも私の常識では、全てのスポーツにおいて脇というものは閉めるものであり、重心のマスは小さくするもの。バイクのコーナリングも脇を閉めて肩から入るのがイメージ。それを、脇を広げて肘を突き出し、マスを広げるように頭から入るというのだから楽しそうだ(Vol.25のレディングの写真が典型的)。ただ、このセンスを得るのは今からでは不可能という前提で試したい。それで転倒の可能性が増したり、自分のライディングを見失ったりしては本末転倒。私はオールドタイプの上ですら、十分すぎるほどの、達成できるかも分からないチャレンジが有る。

 

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